1.世界遺産検定2級合格のための練習問題

2級
世界遺産の基礎知識


Q、次の文章中の空欄に当てはまる数字を、それぞれ下の[語群]から選びなさい。

世界遺産条約締結国の中から選ばれた(1)力国で構成される世界遺産委員会は、毎年各国から提出された世界遺産登録推薦物件の審議及び決議を行う。委員国の任期は原則として(2)年だが、できるだけ多くの加盟国が委員を経験することが望ましいため、4年での交代が推奨されている。
[語群]
①11
②21
③31
④5
⑤6
⑥7

正解(1):2[正解率:90%]
世界遺産とは、ユネスコ(国連教育科学文化機関)総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(通称:世界遺産条約)に基づき、「世界遺産リスト」に記載されている「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことです。46億年の地球の歴史と数百万年の人類の歴史の中で生まれ、未来に向けて残していかなければならない人類共通の「かけがえのない宝物」といえます。

世界遺産は大きく分けて3種類あります。ひとつは人類が創造してきた建造物や記念物、都市遺跡文化的景観などの「文化遺産」、ひとつは地球誕生以来の長い歳月が育んだ地形や地質、生態系、景観などの「自然遺産」、もうひとつが文化遺産と自然遺産双方の価値を備えた「複合遺産」です。2008年12月現在、文化遺産679件、自然遺産174件、複合遺産25件の計878件が世界遺産に登録されています。

各国から推薦された候補物件の審議を行い、新たに世界遺産に登録するものを決定するのが世界遺産委員会です。世界遺産委員会は条約締結国の中から選ばれる21カ国によって構成されます。この会議は原則非公開です。

正解(2):5[正解率:81%]
世界遺産委員会の構成国は、通常2年に1度開催されるユネスコ総会において21カ国の3分の1である7カ国が改選されます。任期は6年ですが、できるだけ多くの国に委員の経験を持たせるため、4年での交代が望ましいとされています。

毎年1回、通常は7月上旬に開かれる世界遺産委員会には、委員会21カ国以外に、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)、IUCN(国際自然保護連合)、ICCROM(文化財の保存及び修復の研究のための国際センター)の代表も顧問の資格で出席します。

Q、ユネスコの国際社会における活動の一環として、当てはまらないものは次のうちのどれか。

1.世界遺産条約の締結を各国に呼びかける
2.世界遺産の保護を呼びかける
3.世界遺産条約締結国に、世界遺産リストに登録すべき物件を推薦するよう働きかける
4.各国の暫定リスト記載物件の中から条件の整ったものを推薦する

正解:4[正解率:62%]
ユネスコは正式名称をUnitedNationsEducational,ScientificandCulturalOrganization(日本語名で「国連教育科学文化機関」)といい、英語名の頭文字を取ってUNESCO(ユネスコ)と呼ばれます。ユネスコが誕生したのは1946年のことです。

前年に採択されたユネスコ憲章に基づいて設立されました。本部はフランスのパリに置かれています。教育、科学及び文化を通じて国際協力を促進し、世界平和と人類の福祉に貢献することを目的とする国連の専門機関です。

日本は1951年に加盟しました。2008年現在、ユネスコの事務局長は日本の外務省出身の松浦晃一郎氏が務めています。また日本におけるユネスコの活動は、文部科学省内に設置された特別機関である日本ユネスコ国内委員会を中心に行われています。

同委員会の現在の会長は吉川弘之東大名誉教授です。ユネスコの最高意思決定機関は、全加盟国代表によって構成されるユネスコ総会です。総会は通常は2年に1度開催され、ユネスコの施策と事業方針の決定、次期2年間の事業・予算案の審議・採択などを行います。



Q、1954年にユネスコで採択されたハーグ条約は、何から文化財を守るための基本方針を定めた条約か。
1.火災や水害など自然災害
2.酸性雨や大気汚染
3.国際紛争や内戦
4.地域開発や観光開発

正解:3[正解率:74%]
文化財や自然を保護しようという動きは、第一次世界大戦以前からたびたび見られました。1933年に開かれた近代建築国際会議第4回大会において採択されたアテネ憲章には、都市の歴史的遺産についての言及があります。

世界各国が保有する文化財や地球の自然を保護していこうという機運は、1945年にユネスコ憲章が採択され、翌年、ユネスコが設立されると活発化していきます。

1948年に自然環境を保護する機関としてIUCN(国際自然保護連合)が設立され、1954年にはユネスコにおいて「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約」が採択されました。同条約はオランダのハーグで採択されたため、通称「ハーグ条約」と呼ばれています。ハーグ条約は、国際紛争や内戦といった終わりなき武力紛争の際に、当事国の文化財を保護するための基本方針として定められました。

日本の世界遺産
Q、次の文章中の空欄に当てはまる語句はどれか。
1615年に徳川幕府から発布された()や、明治維新以降の近代化、太平洋戦争によって、日本各地にあった多くの城郭が取り壊されてきたが、「姫路城」は、その中でも1956年から始まった大天守の大改修を経て、本来の姿に近い状態に保たれている。

①一国一城令
②一地一領主
③禁中並公家諸法度
④武家諸法度

正解:1[正解率:80%]
16世紀後半に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が入城し、本格改修を行って3層の天守閣が築かれた「姫路城」。17世紀初頭、西国大名として新たに城主となった池田輝政が8年をかけた大改修を行い、現在の姿となりました。

当時、日本各地には相当な数の城郭がありました。しかし、1615(元和元)年に出された「一国一城令」によって、その多くが取り壊されてしまいます。一国一城令とは江戸幕府の大名統制策のひとつで、各地の大名は領国につき城をひとつしか持ってはならないというものでした。この令により、各地の大名は居城以外の城を取り壊さなければなりませんでした。

背景には、大名たちの軍事力を弱めるという幕府の思惑がありました。
姫路城はこの一国一城令で取り壊されることなく、江戸時代を生き抜きます。明治に入ると文明開化の波が押し寄せ、維新直後の1873(明治6)年に公布された廃城令と都市の近代化によって多くの城が取り壊されました。

さらには、太平洋戦争の空襲により破壊された城もあります。姫路城も破壊の危機に何度も遭遇しましたが、辛くもくぐり抜け、その見事な姿を今に残しています。

Q、次の文章中の空欄に当てはまる人物は誰か。
「古都奈良の文化財」のひとつとして世界遺産に登録されている元興寺は、()が飛鳥に建てた日本最古の寺院、法興寺(飛扁寺)を遷都の際に平城京に移したものである。
①聖徳太子
②物部守屋
③蘇我馬子
④中臣鎌足
正解:3[正解率:35%]
「古都奈良の文化財」に登録された建造物は、8世紀、奈良時代の日本の木造建築技術が文化的、芸術的に高い水準であったことを示すとともに、中国や朝鮮半島との文化的交流を今に示す文化遺産です。

登録遺産のほとんどが、かつて日本の首都として機能した平城京と深いかかわりを持ち、その様子を知る重要な史料となっています。平城京は、長安や洛陽といった中国の都城をモデルとした王城都市です。和銅3年、現在の奈良県橿原市と明日香村にあたる場所にあった藤原京から遷都され、784(延暦3)年までの74年間、日本の都となりました。興福寺もこの遷都にともない、藤原京から平城京に移された寺が起源となっています。


Q、「厳島神社」が世界遺産として持つ価値として、正しいものはどれか。
①厳島神社の建物は、建造に関わった鎌倉時代の権力者、源頼朝の卓越した発想と文化的功績を象徴するものであること
②日本古来の神道における、偶像崇拝の精神を顕著にあらわした建造物であること
③現在の社殿の多くが平安時代後期の建築様式を忠実に伝え、台風の被害を受けても、修復により中世の姿を保っていること
④山や海、建造物が一体となった厳島神社の景観は、中国の寺社の伝統を受け継ぐものであり、平安時代の交易関係を知る上で重要であること

正解:3[正解率:69%]
「厳島神社」は、平安時代の末期、武士による新たな社会体制を築いた権力者、平清盛ゆかりの建造物です。

世界遺産への登録にあたっては、「厳島神社の建物が、建造に関わった清盛の卓越した発想と文化的功績を象徴するものであること」「山や海、建造物が一体となった景観が神道における神社建築の伝統に基づいて造られたものであり、日本人固有の信仰形態や美意識を理解する上で重要であること」「現在の社殿の多くが創建時の姿でほぼ保たれており、平安時代後期の建築様式を忠実に伝えていること」「日本古来の神道における、自然崇拝の精神を顕著に表した建造物であること」の4点が価値として評価されました。よって選択肢の中では3が正解となります。

海の上に配置された建造物の多くが13世紀までに再建されたものですが、再建に際しては創建時の様式が忠実に復元され、平安時代の寝殿造りの特徴を顕著に表す建築となっています。遺産としては厳島神社の社殿と前面の海、背後の弥山を含む森林を加えた総面積約4.312kmを核心地域とし、緩衝地帯として遺産登録地域を除く厳島全域の総面積約26.343kmが加えられています。

Q、2000年、世界遺産に登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」。そのなかのひとつで、1422年に築城された沖縄県読谷村にある座喜味城の特徴はどれか。
①琉球国国王の居城
②現存する最古のグスク跡
③沖縄最古のアーチ門
④北山王の住居

正解:2[正解率:60%]
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、琉球王国が何世紀もの間、東南アジア、中国、朝鮮半島、日本と経済的、政治的な交流を持っていたことを示す建造物群で、琉球文化の独自性を顕著に示し、失われた遺跡と失われつつある文化的伝統を現在に伝える貴重な遺産です。また、登録された宗教関連の物件からは、自然崇拝と先祖崇拝に根ざした沖縄伝統の宗教観をうかがうことができます。

登録物件には5件のグスク(城)跡が含まれています。グスクは石造りの砦のようなものが基本で、沖縄で農村集落が営まれるようになった12世紀前後から、各地に現れた按司(豪族)によって築かれるようになりました。やがて時代とともに構造も複雑になっていきました。登録されているグスク跡は、「首里城跡」「今帰仁城跡」「座喜味城跡」「勝連城跡」「中城城跡」です。このうち座喜味城跡は、沖縄本島中部・読谷村の高台に建っています。1422年、有力按司の護佐丸によって築かれました。

当時、沖縄は琉球王国成立(1429年)の直前の時代で、北部の北山、中部の中山、南部の南山の3勢力に分かれて争っていました。これを三山時代といいます。1416年、のちに三山を統一して琉球王国(第1尚氏王統)を建てることになる中山の尚巴志が、北山の拠点、今帰仁城(沖縄本島北部・今帰仁村)を滅ぼします。このとき中山に従軍し、今帰仁城攻略で武名を上げたのが護佐丸でした。護佐丸はその後王命により、北山の残存勢力を監視するために座喜味城を築いたとされます。

Q、17世紀、日本の銀産出量は、全世界の3分の1を占めており、そのほとんどが石見銀山で採掘されたものであった。この石見銀山と同時期に、大量の銀を産出していたボリビアの鉱山都市はどこか。
①ハバナ
②レーロース
③キト
④ポトシ

正解:4[正解率:72%]
鎌倉時代に発見されたといわれている石見銀山は、朝鮮半島から招いた二人の技術者によりもたらされた「灰吹法」という新精錬技術の導入を契機に、16世紀に入って飛躍的な発展を遂げます。灰吹法とは、銀鉱石を鉛に溶かしていったん銀と鉛の合金をつくり、そこから銀と鉛を分離させる画期的な方法です。良質な銀の大量牛産が可能となった石見銀山の銀産出量は増加の一途をたどり、17世紀初頭には最盛期を迎えました。

当時、石見銀山で産出された銀は年間およそ40t。そのころ、日本の銀の産出量は全世界の産出量の3分の1に相当したといわれていますが、その銀のほとんどが石見銀山で採掘されたものでした。

時は大航海時代で、石見銀山で産出された銀は東アジア各国のみならず、ヨーロッパにも輸出されました。その名は遠く南米にまで伝わっていたといわれます。


Q、次の文章中の空欄に当てはまる語句はどれか。
「洋上のアルプス」と称される「屋久島」は、東京23区とほぼ同じ面積に、九州最高峰の宮之浦岳をはじめとする標高の高い山々が連なっている。その一方で、亜熱帯地域の北限に位置しながら厳寒のシベリア気団の影響を受ける緯度にあるため、亜熱帯地帯から亜高山帯地帯に生息~する植物が()という形で見られる。
①水平分布
②平行分布
③垂直分布
④広域分布

正解:3[正解率:88%]
「屋久島」は面積が約500kmの山岳島です。東京23区とほぼ同程度の大きさでありながら、九州最高峰の宮之浦岳(1,936m)をはじめ1,000m以上の高峰が数多く連なり、「洋上のアルプス」の別名にふさわしい様相を呈しています。この屋久島のうち、西部海岸線から宮之浦岳を含む山岳部にかけての約107k㎡が世界遺産に認定されました。

屋久島を語る上での象徴的なキーワードのひとつが「植物の垂直分布」です。北緯30度15~23分という屋久島の位置は、亜熱帯の北限であるとともに、厳寒のシベリア気団の影響を受ける地域の南限にもあたります。

かつ、狭い島内は低地の夏は熱帯性気候ですが、標高が100m上がるごとに気温が0.6度下がり、標高100m付近の年間平均気温は19~20度、1,000m付近は13~14度、1,700m付近は9~10度になります。このように、緯度と標高の二重の影響を受けて、海岸線から標高が上がるごとに植生が変化し、亜熱帯から亜寒帯、つまり日本列島の北から南までの植物が垂直に分布しているのが屋久島の大きな特徴です。

自然遺産
Q、次の文章中の空欄に当てはまる語句はどれか。
1999年、自然遺産に登録されたフィリピンのパラワン島セントボール山岳にある「プエルト・プリンセサ地下河川国立公園」では、海山双方の生態系が見られるだけでなく、パラワンヤマアラシや( ) などの希少動物の生息地としても知られている。
①ジュゴン
②シロイルカ
③ジャイアントパンダ
④オカピ

正解:1[正解率:46%]
フィリピン南西部、パラワン島の北部にあるセントボール山脈は、石灰岩が削られてできた鋭い山々で覆われています。山々に降った雨水は、セントボール洞窟とも呼ばれる地下河川に流れ込みます。「プエルト・プリンセサ地下河川国立公園」は、世界最長の長さを誇るその地下河川が流れる地域です。

石灰岩カルスト地形が広がる園内の地下には、全長およそ8.2kmの地下河川が流れ、その水は幅約120m、高さ約60mの洞窟からそのままセントボール湾へと流れ出ています。川が洞窟から海に流れ出る景観はとても珍しいものです。洞窟の天井からは数多くの鍾乳石が吊り下がっています。

洞窟、熱帯雨林、海を含むこの公園は、海と山双方の生態系が見られるだけでなく、パラワンヤマアラシやジュゴンといった稀少動物の生息地であり、多くの昆虫が見られる自然豊かな場所でもあります。しかし、この地域も近年は周辺で生活する人々の違法な伐採で森林の保水力が低下し、その悪影響が出ています。


Q、次の文章中の空欄に当てはまる語句はどれか。
スイス西南部のベルナー・オーバーラント山群を代表する、ユングフラウ、メンヒ、( ) の山々を起点として流れるのが、
ユーラシア大陸最大の氷河であるアレッチュ氷河である。
①モンテ・ロ-ザ
②マッターホルン
③アイガー
④モンブラン


正解:3[正解率:32%]
スイス南西部のベルナー・オーバーラント山群には、「若き乙女」を意味するユングフラウ(4,158m)をはじめとして、メンヒ(4,107m)、アイガー(3,975m)といった4,000m前後の名峰が多数そびえ、アレッチュ氷河が流れています。

山岳国スイスの誇る名峰が並び立ち、手つかずの自然が残されたこの地域の約540kmが、スイス初の自然遺産「ユングフラウーアレッチュのスイス・アルプス」として登録されました。山々が織り成す風景は、文学や美術の題材としてヨーロッパ文化に大きな影響を与えてきました。これらの山々がつくり出す景観は、地殻変動の賜物です。アフリカ大陸プレートが北に向かって移動したために、圧縮された大地が少しずつ隆起し、その後氷河期を迎えて山肌は氷河に浸食され、切り立った絶壁となりました。

ユングフラウの南に広がるアレッチュ氷河は、面積128km、長さ23km、厚さ最大900mに及び、ユーラシア大陸の西半において最大かつ最長の規模を誇ります。ここには氷河が削った圏谷(カール)やU字谷といったあらゆる氷河地形が見られるため、氷河研究にも格好の場といえます。しかし地球温暖化の影響によって、アレッチュ氷河は100年間に1km以上も後退したといわれています。

世界的に有名な観光地でありながら、この地域では現在も95%以上の土地が自然の状態で保たれ、哺乳類や鳥類、亜高山性や高山性の植物が多数生息しています。
アルプスの山々は、芸術家だけでなく、多くの冒険家たちの心も魅了してきました。
1811年から1858年にかけ、この地域の峰はことごとく登頂されています。急峻な山々を踏破できるのは経験豊かな登山家のみですが、現在では一般の観光客も登山鉄道などによって、大自然の一端に触れられるようになりました。

Q、次の文章中の空欄に当てはまる語句はどれか
マラウイ共和国の国士の4分の1を占めるマラウィ湖には、1,000種以上の魚類が生息することで知られる。そのほとんどがマラウィ湖固有の魚類で、とくにカワスズメ科のシクリッドは、様々な種に進化した適応放散の事例として知られており、ダーウィンが進化論の着想を得た()のダーウィンフィンチになぞらえられている。
①ガラパコス諸島
②イースター島
③シャーク湾
④バイカル湖

正解:1[正解率:97%]
マラウィ湖はアフリカ大地溝帯の南端にできた陥没湖で、マラウイ共和国の国士の4分の1を占める大きな湖です。長さ約560km、水深は約700m。12の島を持ち、アブーノカで3番目に大きな淡水湖で、水深では世界第4位を誇っています。

湖畔には切り立った崖や、砂浜、湿地、ラグーンなど多彩な地形が見られます。湖南端部のマラウィ湖国立公園は、アフリカ唯一の湖沼国立公園。湖に浮かぶ島々も含む面積94k㎡の同公園が、1984年、自然遺産として登録されました。ヨーロッパ人としては、スコットランド人の探検家デイヴィッド・リヴィングストンが最初に発見したマラウィ湖。リヴィングストンはこの湖を「きらめく星の湖」と呼びました。

水の透明度が高く、温度が1年を通じて一定のため、この湖に棲む魚には産卵期がありません。500~1,000種の魚類が生息するといわれていますが、なかでも重要なのがシクリッドです。スズキ目カワスズメ科のこの魚は、確認されている400種以上のほとんどが固有種。マラウィ湖のシクリッドは、生物進化を解明する上で、ガラパゴス諸島のダーウィンフィンチに匹敵する貴重な研究対象となっています。

Q、次の文章中の空欄に当てはまる語句はどれか。
カナダにある「ウッド・バッファロー国立公園」は、生態学的、動植物学的な観点から国際的に重要であると考えられる湿地、または水鳥にとって重要であると考えられる湿地が登録される()に1982年に選ばれ、その翌年に世界遺産となった。
①テヘラン登録湿地
②シーラーズ登録湿地
③ラムサール登録湿地
④釧路登録湿地

正解:2[正解率:84%]
カナダ北西部アルバータ州にある「ウッド・バッファロー国立公園」は、絶滅の危機にあったウッド・バッファロー(アメリカバイソン)を保護する目的で設立された国立公園です。北極点から3,000kmほどの場所に位置する総面積4万5,000kmが登録範囲となっています。

冬季の気温-25℃、夏季の気温16℃、年間降水量が310mmという気候のため、イネ科、カヤツリグサ科の草本を中心とする草原が広がり、アメリカ大陸で最大のウッド・バッファローの生息地となっています。1970年代には1万頭を超えていたウッド・バッファローは、現在では2,500頭に減少しています。

1922年、グレート・スレーヴ湖の南一帯が国立公園に指定され、1926年にその倍の面積に拡張されたことで、ウッド・バッファロー以外にも、絶滅が危ぶまれているアメリカシロヅルなどの動物や植物が保護されることになりました。アメリカシロヅルにとっては世界で唯一の繁殖地で、約40つがいが国立公園内で繁殖しています。


文化遺産
Q、1994年に文化遺産に登録された、儒教の開祖である孔子ゆかりの孔廟、孔林、孔府に関する以下の問いに答えなさい。
孔廟、孔林、孔府3つの遺構がある、中国山東省の都市はどこか。
①斉南
②青島
③泰安
④曲阜

Q、孔子の思想を受け継いだ後継者の一人、筍子の思想を選びなさい。
⑤性即理説
⑥為我説
⑦性善説
⑧性悪説

正解:4[正解率:36%]
北京の南約480kmにある古都・曲阜。この町に残る孔廟、孔林、孔府は、儒教の始祖・孔子ゆかりの遺構で、「曲阜の孔廟、孔林、孔府」として文化遺産に登録されました。孔子にとって曲阜は生誕の地であり、終焉を迎えた地でもあります。

孔廟は孔子誕生の地にある祠廟で、魯の哀公が孔子の死をしのび、孔子の住居を改築して廟としたことに始まるといわれます。歴代皇帝により増築や再建が繰り返され、現在のように正殿の大成殿を中心に100を超える堂宇が並ぶ姿となったのは、明代未から清代末のことです。孔林は孔子とその子孫の墓所で、総面積は200万m2にも及び、鯵蒼とした林の広がる敷地に10万あまりの墓碑が並んでいます。

孔廟の東側にある孔府は、歴代皇帝に厚遇され官爵を与えられた孔子の子孫の私邸兼役所だった場所で、孔家77代までがここに住みました。歴代皇帝の孔子に対する尊崇の念を物語るこれらの遺構は、中国の建築史、美術史のうえでも貴重なものです。20世紀後半の文化大革命で一部破壊されましたが、後に修復されました。

正解:8[正解率:29%]
孔子は春秋時代後半の紀元前551年ごろに生まれました。魯の国の役人として政治改革に取り組みますが、失敗して諸国を巡歴し、みずからが理想とする「仁」によって国を治める徳治主義の政治を説きました。

孔子の死後、その言葉は弟子たちにより「論語」としてまとめられました。また、その思想は孟子、筍子らに受け継力ずれ、儒家と呼ばれる学派になります。孟子は人間の本性を善とする「性善説」を唱えましたが、筍子はその反対に悪とする「性悪説」を唱えました。

Q、イエメン中部にある「城壁都市シバーム」。「砂漠のマンハッタン」と呼ばれ、日干しレンガと打ち込みしンガでできた、30m程の高さの高層家屋が密集して建ち並んでいる。建物が高層化した理由として当てはまらないものは次のうちどれか。
①防衛のため
②洪水被害を防ぐため
③女性を家族以外の人の目に触れさせないため
④砂嵐を防ぎ、日陰をつくるため

正解:3[正解率:45%]
日干しレンガで造られた高層家屋が林立する「城壁都市シバーム」は、イエメン中部の砂漠地帯にあります。3世紀ごろに南アラビアで繁栄したハドラマウト王国の首都で、乳香などの交易によって発展しました。

シバームは、交易による宮を狙う異民族の攻撃を幾度となく受けてきました。また、アラビア半島最大のワジ(雨期になると雨水が流れ込んで急激に増水する枯れ川)であるハドラマウトの谷底に位置していることから、雨期にはたびたび大洪水に見舞われます。

こうした被害から町を守るため、シバームでは8世紀ごろから建物の高層化が行われるようになりました。防衛のために1~2階には窓がなく、家畜部屋や食料倉庫になっており、居住空間は一般的に3階以上に設けられています。同時に、高層家屋を密集化させることで日陰を増やし、砂嵐の害も防ぐなど、砂漠ならではの工夫も凝らされています。

Q、次の文章中の空棚に当てはまる語句はどれか。
16世紀、トルコの海賊によって築かれた「アルジェのカスバ」は、イスラム文化の影響を受けて建設された都市である。多くのモスクが建てられ、1660年に建造されたジェディット・モスクは象牙製のミフラーブや、美しい挿絵入りの()手写本を所蔵していることで知られている。
①モーセ五言
②死海文書
③千夜一夜物語
④コーラン

正解:4[正解率:51%]
アルジェリアの首都アルジェは、フェニキアの植民地に端を発する歴史の古い町です。天然の良港に恵まれ、紀元前から港町として繁栄していたアルジェは、16世紀初頭には強国スペインの占領を受けました。このときアルジェは、オスマン帝国に帰順したトルコの海賊ハイレッディンに救援を求めます。

「赤ひげ」の異名を持つハイレッディンは、1529年にスペイン軍を駆逐し、アルジェを征服。オスマン帝国によって地方長官に任命されます。これによりお墨付きを得た海賊たちは、オスマン帝国の強大な権力を背景にキリスト教国の商船を襲い、莫大な財宝と人質の身代金を略奪。この資金をもとに、標高約120mの丘の斜面に市街を築きました。

迷路のように入り組んだ細い路地、急勾配の階段や坂道、密集する家屋を特徴とするこの町が、「アルジェのカスバ」として文化遺産に登録されているアルジェの旧市街です。1830年にフランスに占領されるまでのおよそ3世紀、町は海賊に支えられて発展。

数多くのモスクをはじめ、支配者の居城や、裕福な商人、伝統工芸の職人たちの住居が建ち並んで町を彩り、活況を呈しました。なお、カスバとはアラビア語で「城塞」あるいは「城壁で囲まれた区域」を意味する言葉です。


Q、次の文章中の空欄に当てはまる語句を、それぞれ下の[語群]から選びなさい。
南アフリカのケープタウン沖に浮かぶ「ロベン島」は、17世紀にオランダの東インド会社が、労働力として奴隷や犯罪者を集めたのに始まり、19世紀にはイギリスが流刑地として用いた。1959年~91年の間は、()に抵抗した黒人が収容され、元南アフリカ共和国大統領の()も一時期ここに収監されていた。

①白豪主義
②ホロコースト
③アパルトヘイト
④ワンガリ・マータイ
⑤ネルソン・マンデラ
⑥キング牧師

正解:3[正解率:92%]
人類の「負」の行為を記憶にとどめるため、その役割を果たす遺産を総称して「負の世界遺産」といいます。負の遺産は世界遺産条約に内容が定義されておらず、世界遺産登録基準にも負の遺産という言葉が明記されているわけではありませんが、平和や人道的な観点から、これまでにいくつかの物件が実際に負の遺産として世界遺産に登録されています。

アフリカ大陸最南端、南アフリカ共和国のケープタウン沖に浮かぶ「ロベン島」も、負の遺産の代表といえます。周辺の海流が激しく、脱出が困難なロベン島は、かつて「監獄島」と呼ばれていました。

ロベン島は、17世紀、オランダの東インド会社が石灰石産出の労働力として、アフリカ本土から奴隷や犯罪者を集めたのが始まりです。19世紀にはこの地を支配したイギリスが、海流が激しく脱出が困難なこの島を本格的に流刑地としました。
そして20世紀の半ばとなり、1959年以降は、アパルトヘイト(有色人種隔離政策)に抵抗した黒人たちが、この島へ収容されるようになります。

正解:5[正解率:91%]
南アフリカ共和国の大統領を務めたネルソン・マンデラ氏も、かつてこの島で獄中生活を送りました。マンデラ氏は反アパルトヘイト運動に取り組んだため、1964年、国家反逆罪で終身刑を受け、ロベン島に18年間収監されます。

1982年には別の刑務所へ移されましたが、釈放されたのは1990年のことでした。アパルトヘイトの終焉を経て、1994年、黒人初の大統領に就任。1993年にはノーベル平和賞を受賞しています。

その他
Q、「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」 に関する以下の問いに答えなさい。
2003年、ユネスコが選ぶ「人類の口承及び無形遺産の傑作」として認められた人形浄瑠璃文楽は、18世紀に大成した日本の伝統芸能である。その文楽の演目「曽根崎心中」の作者として有名な江戸中期の劇作家は誰か。
①山東京伝
②近松門左衛門
③十返舎一九
④滝沢馬琴

正解:2[正解率:79%]
世界遺産には「不動産であること」という絶対条件があるため、伝統芸能や社会的慣習、伝統工芸技術、儀式といった口承・無形の文化は世界遺産としては登録できません。しかし無形文化も有形の文化と同様、人類共通の貴重な宝物であることには変わりありません。「文化の多様性の尊重」はユネスコの基本理念です。

ユネスコでは1998年に「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」を採択し、2001年を皮切りに「人類の口承及び無形遺産の傑作」を発表してきました。「人類の口承及び無形遺産の傑作」はこれまでに2001年、2003年、2005年と3回の宣言が行われ、計90件が傑作として宣言されています。2003年にはユネスコ総会で「無形文化遺産の保護に関する条約」(無形文化遺産保護条約)を採択。

同条約は2006年4月20日に正式発効し、口承・無形の文化も人類共通の遺産として保護することが可能となりました。現在のところ、無形文化遺産と有形の世界遺産は別のカテゴリーでとらえられていますが、ユネスコでは将来的に一本化していく意向を持っています。また、同条約が対象とするのは口承・無形の文化についてですが、今後は芸術作品についても同様の動きが見られるかもしれません。



Q、2001年、ユネスコが選ぶ「人類の口承及び無形遺産の傑作」として認められた「オペラ・デイ・プーピ」は、19世紀にイタリアのシチリアで生まれ、庶民の人気を博した。これはどのような大衆芸能であるか。
①ミュージカル
②サーカス
③紙芝居
④人形劇


正解:4[正解率:56%]
「オペラ・デイ・プーピ」は、19世紀の初めにイタリアのシチリア島で生まれた人形劇です。庶民の間で人気を博し、娯楽として大流行。その後周辺各地にも広まっていきました。この人形劇も、「シチリアの人形劇」の名で2001年の第1回“傑作”宣言を受け、無形文化遺産の代表一覧表に記載されています。

「オペラ・デイ・プーピ」は伝統的に家族単位で演じられることが多く、その技術は代々受け継がれてきたものです。テーマとしては中世の騎士道文学をベースとした物語が主に演じられました。人形師が人形を操りながら、即興の要素が強いセリフを語り、1m程度もある人形がぶつかり合う戦いのシーンが盛り込まれるのも特徴的です。20世紀中盤以降の急激な社会の変化によって、シチリア島の人々も生活スタイルが変わり、テレビの普及でこの人形劇から離れつつあります。

そこでセミナーやフェスティバルを実施するなど、若い人形師の育成が現在行われています。今後は「オペラ・デイ・プーピ」を継承していくための学校を設立する計画も持ち上がっています。


次の文章中の空欄に当てはまる語句はどれか。
Q、観光が大衆に広まった現象をマス・ツーリズムというが、近年、多くの世界遺産では観光客の増加が大きな問題となっている。地盤沈下の危機にあったインドネシアにある世界最大規模の仏教遺跡( ) は、ユネスコ主導の下、日本のイニシアチブで工事が行われ整備された。しかし世界遺産観光ブームによって想定外の観光客が押し寄せ、整備された基盤がふたたび沈下し始めている。
①ダンブッラの黄金寺院
②力ジュラーホの寺院群
③プランバナンの寺院群
④ボロブドゥールの仏教寺院群

正解:4[正解率:75%]
マス・ツーリズム(観光の大衆化)は、旅行の低価格化や観光産業の進展など、人々の生活にプラスをもたらした部分もあります。しかし、自然環境や文化財の保護、そして世界遺産の保全という観点からは、やはり大きな問題をはらんでいるといえます。

観光客によって世界遺産が悪影響を受けるというケースは、実際にしばしばありました。インドネシアの「ボロブドゥールの仏教寺院群」はその代表的なケースです。1980年代、同寺院群を地盤沈下から救うため、日本がイニシアチブを取って工事を行いました。ところがその後の世界遺産観光ブームによって、世界中から多くの観光客が訪れ、ボロブドゥールの仏教寺院群はふたたび地盤沈下の危機にさらされてしまいました。世界遺産の保全は基本的にその保有国が全力を挙げて行う義務があります。

しかし、自然災害や紛争などによって遺産が危機にさらされた場合、現実的に保有国だけでは財政や人材面での負担が大きすぎ、保全管理が不十分になるケースが性々にして見られます。そういったケースでは、ユネスコの主導により、国際協力にゆだねられるのが一般的です。


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